主宰の亡父正岡忠三郎は、正岡子規の従兄弟に当たり、子規の死後、子規の妹・律(りつ)の養子になり、事実上、子規を継ぎ、現在、主宰が子規の後継者として活動している。
また、主宰の祖父で子規の叔父に当たる加藤恒忠(号・拓川=たくせん)は子規に上京を促し、物心両面にわたって子規を支えた人物である。
拓川は、松山から、子規より先に上京、司法省法学校(現東大法学部)で学んだ後、中江兆民のフランス塾を経て渡欧、パリ公使館員、ベルギー公使、など20年ほどを外交官として欧州で過ごした。ベルギー時代は、日露戦争が勃発し複雑に思惑の絡み合う列強の仏英独に近接しロシアにも近い位置にあったベルギーの公使として、多くの要人と接触した。司馬遼太郎原作『坂の上の雲』に登場する人物だけでも30数名との交流があり、それらの拓川宛書簡も手元にある。
また、『坂の上の雲』の主人公である日本騎兵の創始者秋山好古大将とは松山藩校明教館以来の竹馬の友であり、好古の書簡も多数遺されている。
生前、司馬さんはある席で私に「拓川という人は友人を作るために生まれてきたような人ですね」と言われたことがあった。拓川と親交のあった人物といえば、原敬、陸羯南、西園寺公望、犬養毅、渋沢栄一、後藤新平、幣原喜重郎、徳富蘇峰、土井晩翠、黒田清輝、森鴎外、孫文など各界を代表する傑物がきら星の如く居り、『坂の上の雲』の関連では、秋山好古をはじめ、欧州を暗躍し裏からロシアを倒そうとした特異な情報参謀・明石元二郎、朝鮮の仁川港で日露戦争の口火を切った第二艦隊司令官瓜生外吉、外債による莫大な戦費調達の任務を受け、アメリカやイギリスに渡った高橋是清など、『坂の上の雲』登場人物との数多くの交流がある。
この時代は無私の熱き志(こころざし)を抱いて、新しい国作りの為に奔走したスケールの大きな、極めて魅力的な人物を輩出した、誠に面白い時代である。
手元の書簡などを元にこれらの人物を顕彰し、その生き様や考え方を講演や文章を通して皆様に伝えていければ本望である。

正岡子規研究所
所長 正岡明